2012年05月27日

なんだこのシンポジウムは!?

フランスでも政権交代があって間も無いですね。
日本の震災から一年余り、原子力発電先進国だったフランスでさえその推進派が負けました。
人類の価値観が技術文明妄信からSustainableな方向に転舵してゆく時代を我々は経験しているところでしょうか。

技術立国を自称してきた日本は一世紀半前の開国以降、西欧の機械文明を受け入れて発展してきました。およそ百年で東京タワーを建て新幹線も実用化。1980年代以降は自動車も西欧と肩を並べる技術水準に達し電子機器も最高水準にあるとされています。それがバブル崩壊の後は右肩上がりの経済に疑問を抱く人々が増え、21世紀の幕開け以降は自らの文化へ回帰する傾向が強まってきました。三丁目の夕日みたいな映画がヒットする理由もその辺にあるでしょう。

東日本大震災以降は多くの日本人がこれまでにないほど自国の脆弱な政治力やインフラの不安定と、それらへの認識の甘さを思い知ったはずです。文明開化から僅か150年の国ですから社会システムやインフラが完成の域に達しているわけではありません。むしろ鎖国の頃がうまく自己完結出来ていたのではないでしょうか。

没落する日本の舵取りをどうするのか?そのために他の国をそのお手本としようと幾つかの国が例に挙げられてきました。福祉政策の充実したデンマークやアメリカ資本主義と決別したキューバなどです。私はデンマークのご老人と交流があり、その国家システムは国民各々のしっかりした自立心の上に成り立っていることを実感しました。またグローバルにボランティア活動を展開しているグループからキューバが自然療法を復活・普及させて医療インフラの上では各国から視察が来るほどだと以前から知らされていました。どちらの国も医療や福祉といったインフラの充実に尽力したことが共通点かと思います。

今はヒマラヤの麓の小国ブータンが注目されてますね。国民総幸福量(GNH=Gross National Happiness)の増大を政治の根幹とする仏教国です。既に皆さんもご存じでしょうが人口70万人に満たない、面積でいえば九州くらいの国です。電気の通ってない地域もあり、また一日三食食べられない家庭もあるそうです。極めて貧乏な国ですが森林の保全や道徳教育の在り方などマスコミを通じて近年大きく取り上げられ始めました。エネルギー消費が小さくSustainableではあるかも知れませんが、この国が前述の二ヶ国と異なるのはその政策が教育を通じて国民の思想的安定に重きを置いていると思われる点です。「足るを知る」という仏教的思想が基本になっています。足りていると認識すれば「満足」する、即ち「幸福」だというわけですね。



ここで留意して頂きたいのは国家が政策として行うべきは福祉や医療など「インフラ整備」の方であり、思想は各人の自由であるべきものだということです。足るを知るとは己の身の丈に合った生活をするということですが、どの程度が「足りている」状況なのかは各々の価値観によるでしょう。そこを政治的に左右されては民主主義とは言えません。この点において私はブータン王国を今後の日本の手本にするのには懐疑的です。日本人の価値観はもっと多様であり、生活に対する認識はブータンのそれとは別次元にあると思います。また既にバブル崩壊から二十余年を経た日本人は本来の「足るを知る」生活に戻りつつあります。環境保全の大切さにしても公害問題や東日本大震災から大いなる教訓を得ました。今さら他所の仏教国を思想的手本とするまでもないのです。

にもかかわらず、その小国の人気に乗じて自治体側が自らの政策のまずさを覆い隠そうとするような呆れたシンポジウムがここ天草で開かれました。市民センターで5月26日に開催された「GNHシンポジウム」です。これは概要としてはブータンから専門官を招待してかの国の政策について見識を深め、それについて話し合おうという主旨のものだったと思われますが、熊本県知事と天草市長が登場することで流れがおかしくなってしまいました。この不景気の最中に熊本県民の幸福度が向上していることを表わすという不可解なグラフが開示され、県知事はそれを自分の功績の如く笑顔で解説し、市長も己の個人的見解を述べるのみで、聴衆側には自分の意見を述べる機会すら与えられませんでした。質疑応答も一切なしです。山間に貧しく暮らすブータンの人々の画像を愛でるばかりの無意味なパネル・ディスカッションを聴衆は黙って聞かされるだけ。あたかもかの国の現状が我々熊本県民の目指す理想であるかの如くです。

政治家が行うべきは客観性のある政策です。日本は今も資本主義国家であることに変わりはないのですから、まず経済対策を抜本的に行うべき。そして公務員は住民の僕としての責任を負う。壇上でその点にも言及なさったのはブータン出身のぺマ教授だけでした。
県政・市政は県民・市民の意識を他にそらそうとしてるとしか感じられなかったのが今回の催しの率直な感想です。政策がうまくいかないことに窮して「ブータンに行ってみよう!」
みたいな雰囲気つくって現状をウヤムヤにするって風情が強く感じられましたね。

日本には日本の為すべきがあります。米国的価値観の呪縛から抜け出すことは大事ですが、他所を手本とするより自分たちの先祖が培ってきた文明を振り返りましょう。答えは自ずと見つかると思います。そしてなにより先に「民主化」です。資本主義が先走って肝心の民主主義が未だに定着していません。元首を国民が直接選べないなんて民主国家じゃありませんよ。国民には政治家を監督する「義務」がありますからね、ちゃんと義務の果たせる国にしていきましょう。

今回のシンポは余りにお粗末でしたので、あえてここに書かせていただきました。
読者の皆さんも現状から目をそらしてはダメですよ。






Posted by 了教 at 12:18│Comments(4)
この記事へのコメント
それだけ「日本国民はシアワセ」ということ、です。
言い換えればオメデタイともいえますが。自戒を込めて。
(注)私はこのシンポジウム見てませんので、シンポジウムについてはなんともコメントできません。が、最近の日本を思うと・・・憂えてしまいます。
Posted by 自問自答 at 2012年05月27日 12:57
行政側にとって 日本一都合のいいのが
天草島民らしいです。
行政のやり方に 何一つ文句を言わない。
莫大な税金を使った一大観光イベントを
失敗しても 誰も責任を追及しない。
思い当たります。
自分自身が その一人なので。
Posted by 天草を憂える者 at 2012年05月27日 15:07
天草島民はのんびりして気さくな反面、行動を起こすのが遅いのも事実です。行動しないでいるとやがて思考も停滞します。

一般に若者に対しての冷遇が目立つ地域でもあります。
若者が島を出ていく理由は地元就職難よりも自分の存在を認めてもらえないからでしょう。一度出たが最後、二度と地元には住みたくないという人も多いと聞きます。


これほど愛されない郷土というのも珍しいのではないでしょうか。
若い=行動力のある人々が空回りせざるを得ない環境といえます。

のんびりしたブータンよりも、逆に変化の速い社会を手本にすべきなのが天草ではないかと思います。意識を向けるべき方向が逆であろうと強く感じます。
Posted by 了教了教 at 2012年05月30日 11:21
にもかかわらず、その小国の人気に乗じて自治体側が自らの政策のまずさを覆い隠そうとするような呆れたシンポジウムがここ天草で開かれました。
Posted by 時計 スーパーコピー at 2013年07月09日 15:44
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