2012年05月10日

天翔ける女を訪ねて

今年のGWは留学を控えた西南学院大学の女子学生さん他と一緒に帆船祭りで賑わう長崎を訪ねました。
日本人女性の海外進出の歴史を長崎で辿ってみるのが目的です。
旧家の油問屋「大浦家」を幕末に継いだ「大浦お慶」さんの足跡を辿ってみたのです。
お慶さんは日本茶の輸出で財をなし維新志士たちを擁護したことでも知られています。
鎖国下での中国密航など法をおかしてまでマーケット・リサーチを行うというビジネスに対する類まれな積極性を持つ女性でした。

天翔ける女を訪ねて

海外に出ることで日本の中にいる限り見えてこない「隙間」が見えるようになります。
商売とは即ち「隙間に食い込む」ことに他なりません。
今までになかったニーズの開拓です。
食い込んだその隙間をどれだけ拡げられるかは努力次第ですが、それはもちろん学究分野にも言えることです。

お慶さんの継いだ油問屋は父親の代に仕入れ等に失敗して斜陽化しており、長崎の地で起死回生を図るには貿易ビジネスしかないと腹をくくったのでしょう。
まだ英語を話せる人間が日本には誰もいなかった時代ですが、やがて英国人オルトから大量の茶の注文が舞い込み一大商人となってゆきます。
注文が大量過ぎて集める術がなく途方に暮れたこともあるようです。
当時はお茶といえば道端の茶葉を摘んでたくらいで大きな茶畑は珍しかったようですね。
しかし地道に茶処を訪ね歩きどうにか最初の注文の分をかき集めます。
見つけた隙間を大いに拡げて成功の階段を上っていったんですね。


天翔ける女を訪ねて

今回はお慶さんの生家跡、お慶さんより先に息子を中国に密航させていたという豪商・小曾根氏の邸宅跡、お慶さんがお茶ビジネスのヒントを得たという唐人屋敷跡などを巡り歩き、また「お慶」のハンドルネームで興福寺でガイドをしている起業家女性から当時より伝えられる話を拝聴させて頂きました。
帆船祭りという幕末までの長崎の港の景色を彷彿とさせる催しを背景にこうした探索をすることで、留学にのぞむ学生さんにどのようなMotivationが沸き起こったのか、今後が楽しみです。

余談ですが興福寺は中国様式の寺で、かの坂本龍馬の写真を撮影したことで有名な上野彦馬が自作の写真機で最初に撮影したのがここの山門であるとされています。
また先々代あたりの住職が私の血縁者であると聞いておりその旨も調べてきたのですが、現住職からは決め手となる情報は得られませんでした。
ただ、うちの身内と様々な交流があったことは確かなようです。

天翔ける女を訪ねて
(興福寺山門↑)

因みに大浦お慶の伝記小説「天翔ける女/白石一郎著」は本渡の中央図書館にもあります。
是非ご一読下さい。

天翔ける女を訪ねて
(出港する日本丸↑)




Posted by 了教 at 12:33│Comments(3)学究
この記事へのコメント
ほほう、そんな女性がいたんですね。
図書館で探してみます。

帆船の写真は??ないのでしょうか?
Posted by しあわせ運ぶひさしあわせ運ぶひさ at 2012年05月10日 14:00
お慶さんは、NHK大河ドラマ「坂本龍馬」で知りましたが、詳細を訪ねていくことは素晴らしいことですね。
先人たちは、私たち現代人に色々な教えと技術を残してきました。
私たちも、先人に学び、未来人に真実と勇気・愛情を間違いなく残すことが義務だと感じます。
Posted by やっぱり太陽やっぱり太陽 at 2012年05月10日 21:36
>しあわせ運ぶひささん、

ご要望に応えて日本丸出港の画像をブログの最後に貼っときました


>やっぱり太陽さん、

私も「生きた学問」を後世に伝えたいと思います。

現代は科学の発達で沢山の謎が解け且つ実生活に応用もされてますが、それをどう解釈しどう取り扱っていくかという哲学はむしろ退化しているように見受けられます。
哲学あって初めて技術が活かされます。
哲学する心を養いたいですね。
Posted by 了教了教 at 2012年05月11日 20:37
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